2016年5月30日

喪失感を贖うための誄―『天才と名人 中村勘三郎と坂東三津五郎』



中村勘三郎が逝って、それからわずか1年半後に坂東三津五郎が亡くなってしまったときの喪失感がいまだに消えません。自分の時代の歌舞伎というものが、永遠に失われてしまったように思えたからです。長谷川浩氏の天才と名人 中村勘三郎と坂東三津五郎 (文春新書)もまた、そんな喪失感を贖うための誄といえるい本です。在りし日の二人を追慕する文章は、二人にとっての歌舞伎とは何だったのかということを激しく問う。それは、私にとっても歌舞伎とは何かといことを問う。しかし、在りし日の二人を思い出し、批評の言葉が浮かばないのです。
2016年5月21日

むかし見た芝居3ー二つの「若さ」(2005年9月公文協巡業「十一代目市川海老蔵襲名披露松竹大歌舞伎」)



私は市川海老蔵が大好きです。海老蔵に関しては、もうなにをやっても面白く感じてしまうというほど。そういう意味では、海老蔵信者の一人なわけです。今回紹介するのは、その海老蔵の十一代目襲名巡業の芝居です。おそらく生で海老蔵の芝居を見たのは、このときが初めてだったように思います。一部ダメ出しもしているのですが、その欠点も最近では解消され、本当にいい役者になりました。また、本来は巡業に参加するはずだった團十郎が病気休演となり、海老蔵一人舞台だったのも、余計に応援しなければという思いにかられたことを思いだします。そして、團十郎がいまはもういないというのも、いま読みかえしてみると改めて胸が痛みました。
2016年5月15日

むかし見た芝居2-小芝居の意義(2005年9月「第18回歌舞伎フォーラム公演 」)



むかし見た芝居の2回目として紹介するのは、2005年9月に国立文楽劇場で見た「第18回歌舞伎フォーラム公演」です。当時は無職だったこともあり、こういった若手の勉強会にも盛んに足を運んでいました。脇役の不在が関西歌舞伎の弱点であるという問題意識を強く持っていたことも思い出します。ただ、この問題はいまだに解決されていなくて、さらに深刻になっているのですから、なかなか歌舞伎の未来は厳しい。この舞台で中心を務めた中村又之助と中村京妙は、いまでは伝統歌舞伎保存会会員のベテラン脇役として活躍中なのが嬉しい。中村梅之は現在の中村梅乃です。演目の「松王下屋敷」は小芝居向けの愚劇とバカにされますが、実際に見たことのある人は少ないでしょう。そういった珍しい演目を見ることができたのも今となっては貴重な体験でした。あと、この芝居は当時に付き合っていた女性と一緒に見に行ったこともささやかな思い出です。
2016年5月13日

むかし見た芝居・番外編―NHK教育「芸術劇場」「芸能花舞台」の思い出

東京には歌舞伎を上演する劇場が多く、それこそ毎月でも芝居を密頃ができます。ところが私のような地方在住者はそうはないかい。そんな地方在住の歌舞伎愛好家にとって心強い味方がNHK教育の「芸術劇場」や「芸能花舞台」といった番組でした。歌舞伎にいちばん熱中していた2000年代初め、それこそテレビで見た芝居の印象もノートを書いていました。思い出のある三つの芝居の観劇ノートです。
2016年5月12日

むかし見た芝居1-私の歌舞伎初体験(2005年6月「歌舞伎鑑賞教室」)

じつはこのブログは、私が歌舞伎をテーマに書くブログとしては2代目にあたります。私が本格的に歌舞伎を見始めたのは2005年からですが、当時も別のブログサービスで、見た芝居の感想なんかを書いていました。当時、私は大学院を修了し、付属研究所の無給研究員などをしていたのですが実質的には無職でした。お金はなかったですが、時間だけはたっぷりとあったおかげで、とにかく見れる芝居はすべて見たような気がします。最近は仕事も忙しく、かつてのように頻繁に芝居を見に行くということが難しくなりました。そのためこのブログもすっかりネタ枯れ気味で、更新も滞りがち。そこで二番煎じのそしりを受けそうですが、むかし見た芝居の記事を再掲載しようと思います。いま読み返すと赤面するような内容が多いのですが、歌舞伎初心者が精いっぱい背伸びして書いた文章なので大目に見てもらえればと思います。

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